【クリエーターたち】独立時計師 菊野昌宏 インタビュー
インタビュー・構成:中村 一|撮影:菅原康太
「つくりたい」という想いを胸に挑戦を続ける、色とりどりのつくり手たち。
困難や失敗を乗り越えて、想い描いたビジョンをカタチに変えていく。工夫や探求を積み重ね、新たな価値を生み出していく。そんな、つくり手という生き方。その軌跡と想いをひも解くインタビュー。
「和」のテイストを取り入れた時計が世界的に高く評価されている独立時計師、菊野昌宏さんにお話を聞きました。
菊野・昌宏(きくの・まさひろ)
北海道生まれ。高校卒業後、自衛隊に入隊。2005年、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。時計づくりを学ぶ。2010年、田中久重が製作した「万年時計」にインスピレーションを得て、自動割駒式和時計の腕時計を3ヶ月にて製作。2011年、世界最大の宝飾と時計の見本市「バーゼル・ワールド」に初出展。2013年、30歳にして日本人初のAHCI正会員となる。和のテイストを取り入れた独創的な時計で世界の愛好家たちを魅了し続けている。
▶ WEBサイト : 菊野昌宏
菊野さんの製作した時計たち。左からトゥールビヨン2012、折り鶴、木目、和時計改、朔望(印籠バージョン)。
菊野さんへのインタビュー動画。
あの菊野さんがCNCを導入?
――― 菊野さんと言えば手作りというイメージですが、昨年菊野さんは弊社のKitMill AST200をご購入くださいました。私たち社員全員がとても驚いたのですが、CNCを導入しようと思った理由は何ですか?
学生のためなんです。渋谷に「ヒコ・みずのジュエリーカレッジ」という時計学校があります。私の母校ですね。その学校では、時計の修理を3年間学んだあとに、時計を作りたい学生に向けた「研究生コース」に進むことができます。私はそのコースで週1回だけ時計作りを教えているんですよ。
研究生たちはたった1年間で時計を作り上げないといけません。汎用のフライスや旋盤で作ると複雑なものやパーツが多いものは期間内に作ることが難しいので、CNCを使いたいと思ったんですね。
そこで、まずは自分でKitMillを購入し、使い方を勉強しました。時計作りに使えることがわかったので、学校にも同じものを導入してもらいました。自分が使っているものと同じものですから学生にちゃんと教えることができますからね。
――― 菊野さんご自身はCNCをどのように時計作りに活用していく予定ですか?
KitMillで試しに歯車を作ってみたら、結構いけるなと。すごいなと思いました。じゃあどこまでできるんだろうと思って、こういうコンプリケーションですね、トゥールビヨンとミニッツリピーターとクロノグラフが入る複雑時計を作っています。
KitMillを使用して制作中の複雑時計。(この記事の公開直前に菊野さんから「時計が90%くらいできてケースに入りました」との連絡を写真と共にいただきました。[写真])
――― すごいですね。これ見せちゃっていいんですか?
特別サービスです。
KitMillがどこまで細いエンドミルで加工できるのかなと思って色々やってみたら、ゆっくり加工すれば0.2mmでも炭素鋼を削れることがわかって。じゃあ、0.2mmのエンドミルで作れる時計にしようっていうことで、これを設計しました。
菊野さんは複雑時計の設計図を私たちに見せながら語ってくれた
――― 菊野さんの次の作品を待っている人は世界にたくさんいらっしゃいます。その人たちが見たらかなり衝撃的ですね。
CNCを使っていることも意外でしょうし、しかも100万円ぐらいのCNCで作っていますからね。
――― KitMillでこれほどの複雑で精密な時計を作っているところを弊社のお客さんが見れば、すごく勇気がもらえるし、挑戦心が高まる気がします。
工夫すればこのぐらい形にすることはできるよっていうのを見せられればいいですね。最初って機材揃えるのにお金がかかるし、場所もないし、自分自身も本当にそれで大変でしたから。
本体右側のマイクロスコープは菊野さんご自身が取り付けたもの。極細エンドミルのゼロ点合わせに利用している。
――― スピンドルの回転数はどうされていますか?
標準のまま無改造で加工しています。今の倍は欲しいところですが、何とか折れずに加工できています。このスピンドルはどのぐらいの回転数まで大丈夫なのかな?
――― 2万回転まで大丈夫です。
じゃあ改造して遊んでみよう。0.1mmのエンドミルで加工できれば、もう少しモジュールの小さいギヤも切れるので。
(この記事の公開直前に菊野さんから次のコメントと共に改造後の写真をいただきました。「市販の40mmのプーリーを加工して、モーター側に取り付けました。ベルトは標準タイプの長さのものを使い、約16000回転仕様になりました。元のカバーも取付できます。」[写真1][写真2])
――― 弊社のことはいつ知ったのですか?
昔から名前は知っていました。久しぶりにサイトを見たら「AST200」を見つけて、かっこいいなと思って。剛性もありそうだし鋳物でしっかりしているし。
最初から高額なCNCを買って壊してしまったら立ち直れないと思ったので、比較的手頃な値段でしっかりしてそうなAST200を選びました。組み立てキットで構造が理解できるっていうのも購入の理由のひとつなんですよ。
――― 手作業とCNCはどのように使い分けていく予定ですか?
未定ではありますが、そこは区別していこうかなとは思いますね。手作業で作ってきたモデルはそのままのやり方で作りたいし、一方でCNCやレーザーを使ったものも、それはそれで面白いですから作っていきたいですし。
当日菊野さんが身に着けていたご自作の時計。外側のケースや文字盤、網目状の板、針をKitMillで製作。星座盤の文字や絵柄はレーザー加工機を使用。汎用ムーブメントの上に恒星時で回転する自作の星座盤モジュールと星座盤を載せている。今日の日付と星座盤の文字を合わせておけば、上空にある星座がリアルタイムでわかる。CNCやレーザーを使った時計製作を探求する中で生まれたものであり、販売の予定はないという。
ケースの加工は、ブロック材からの削り出しで裏側を加工した後、アルミ板にそのケースの形状に合わせた掘り込み作り、そこに接着剤で固定して表側を加工をする。リューズとラグ穴は汎用のフライスにクランプし、センタリングマイクロスコープで中心出しをして加工。
――― CNCを使うと製作本数を増やせるというメリットもあると思うのですが、それは狙いに入っていますでしょうか?
そのつもりはないですね。今のところは。
――― 菊野さんは時計作りに没頭していきたいといった気持ちを持っていらっしゃる方だという印象が私にはあるのですが、量産をしたりすると管理のほうに時間をとられてしまいますもんね?
そうなんですよ。拡大したいという気持ちはないんです。何かをやりたいと思ったらすぐに着手したいので、なるべく身軽でいたいっていうのがありますね。溜まっていた注文分は2022年の末に完了させることができて、それからは注文を受け付けていないので、昨年は身軽になることができました。そこで新しいことに挑戦しようと思い、CNCはその一環として始めたんですよ。
お客さんが喜ぶだけでは不十分
――― 次に菊野さんのものづくりに対する姿勢を知りたいのですが、まずは、時計づくりに対するモチベーションの源泉は何ですか?
モチベーションって本で読んだのですが、自主自律と成長と目的、その3つが満たされたときに湧くと書いてあったんですよね。独立時計師の仕事っていうのは、まさにそこが全て満たされるんです。自分でプランを考えて、自分で手を動かして作る。そのことによって自分が成長していることを感じながら、目的の理想の時計を作っていく。そのサイクルがやっていて面白いなと実感できるので、飽きずにやっていられる気がします。
――― 時計作りって沼ですよね(笑)精神力も必要ではないですか?
沼ですね。歴史も長いですしね。本当にもう一生では足りないですね。
ものづくりをしない人から見たら、こんな小さなネジとか作っていたら気が狂うよって思われそうですが、それが当たり前の世界ですから。
――― でも最後の仕上げで失敗しちゃったりとかはありませんか?
ありますね。何日分か飛んじゃうみたいな。地板を裏表加工して最後にリューズの穴を横から開ける時に失敗しちゃって、はい終了みたいな(笑)。もうその日は寝ますね。そういうことはあります。
でも、何に使うかわからないままネジを作れって言われたら嫌になりますが、このネジがここにつくからこういう形で作らないといけないっていうのが分かっていて取り組むので、それほど苦行という感覚はないですね。
――― 時計作りで最も大切にしていることは何ですか?
自分が「楽しんで作る」ということが一番大事かなと思いますね。楽しんで作ったものが結果的にお客様にも喜んでもらえると思うんです。
――― 菊野さんが何かの動画で、「作り手の満足度も大切」と語っているところを見て、とても共感しました。
どうしても完成品のことばかり考えがちだと思うんですよね。例えば「手作り」についても、それって作り手の自己満足なんじゃないかと言われることもありました。機械で作れば早く綺麗にできるのに、なんで手で作るんだみたいな。その時はちゃんと返せなかったんですが、良いものって何なんだろうって思った時に、スペックだとか精度も大切だけど、そもそも機械式時計ってクォーツや電波時計に比べたら精度が低い。それでも愛されているってことは、何か精度を超える魅力があるから愛されているんだと思うんですよね。
極端な話ですが、精度というものを突き詰めていくと、そもそも人がいらなくなってしまう。人が邪魔なファクターになってくるんじゃないかと。例えば半導体工場では、人がちょっと動いただけでホコリが出ちゃって品質に影響が出る。そう考えると、完璧な時計って人が触ってはダメになっちゃうんだと。けど、そういう時計を自分は欲しいかと思った時に、だったら別にホコリが入っていても、人が作っているものがいいなと。人の顔が見えるものが私は欲しいなと思ったんですよね。
それから、完成したものだけが良ければいいのかというと、そうじゃないと思っていて。やっぱりお客さんが喜ぶだけじゃ不十分で、関わる全ての人がハッピーだったら最高のものづくりだと思うんですよね。ものを作るためには人も資源もエネルギーもたくさん必要です。その全てを幸せにできるのが究極のものづくりなのかなと。だから今まで手作りにこだわってきたというのはありますね。
菊野さんは製作時にそのプロセスを記録し、写真集を制作。完成した時計とともに依頼主にプレゼントし、作り手の満足を共有している。
――― お話を聞いていて、「手の技術というのは、誰かから教わったとしてもその人の技術」と以前菊野さんが語っている動画を思い出しました。
手の技術は、その人のものでしかないですからね。そこに価値があると思うんです。一生の中でしか鍛錬できないし発揮することもできないっていう有限なスキル。データであれば、コピーして共有すれば誰でも同じものが作れるところが素晴らしいと思うのですが、一方で手作業はどれだけ教えても言語化できないし、感覚でしかないし、人それぞれ見えてる世界は違う。「その人のもの」になってくるんですよね。
多分究極の器用さみたいなものは機械が人間を上回っていて、頭脳もAIとかが出てきて人間を上回りつつあって、じゃあ人間は何がすごいんだって言ったら、その全てを持っていることがすごいと思うんですよね。人間は1つの肉体で、走り回ったり、手作業したり、考えたりもできる。いろんなことがこの1つの肉体でできるっていうことが人間の強みであり人間らしさ。100年ぐらいで消滅するっていう時間制限付きの肉体で、どこまでできるかっていうところが手作業でのものづくりの魅力なのかなと思っているんですよね。
すべての工程を一人で味わえるものづくりとの出会い
――― 時計を作る以前に作っていたものがあれば教えていただきたいのですが?
そんなにないんですよね。折り紙とかレゴブロック、プラモデルとかはやっていたんですけど。父親が製造業の仕事をしていて、ある時、作った部品を見せてもらったんですが、何の部品かは分からないっていうことを聞いて。ああ、大人のものづくりってこういうことなんだって。子供のものづくりは全部自分でできるけど、大人になると分業して作るんだなと。何の部品かわからずに作るのが大人のものづくりなんだなって思ったら、それ以来ものづくりには冷めちゃって。
――― そこからいきなり時計作りですか?
眠ってたんですね、心の中に。作りたいっていう気持ちが。高校卒業して自衛隊に入って、上司が機械式時計をしていて。そこから時計雑誌を買って、独立時計師っていう人がいることを知って。めちゃくちゃ面白そうだし、しかも全部1人で作ってるじゃん大人なのに、みたいな。1人でこんなもの作れちゃうんだっていうのがすごくワクワクして。是非やりたいっていうことで時計学校に入ったんです。
放っておいても作る人は作る
――― 弊社のお客さんの中には初心者や学生さんがたくさんいるのですが、そういう人たちにアドバイスをいただけますか?もしかしたら菊野さんみたいな人が生まれるかもしれません。
アドバイスですか。多分こういうことが好きな人って、放っておいても勝手にやるというか、むしろ絶滅させる方が無理だと思うんですよね。ものを作りたいって思う人って相当昔の人類からいると思うんです。民族資料館に行くと小さい矢尻とか石を砕いて作ったものとかあるじゃないですか。あれは好きじゃないとできないと思うんですよ。多分そういったものを作れる技術を持った集団が強かったんでしょうね。技術があれば、快適な住居を作れたり、寒さに強い服を作れたり、獲物をたくさん獲れる。だから、ものを作れる人は社会的地位も割と高かったんじゃないかな。そういう人たちを大事にしてきた集団が生き残ってきて、その末裔が俺らなんだろうなと。だからものづくりしたいっていうDNAを持った人は、一定数社会にいるのだと思います。そういう人たちはきっかけがあれば、放っておいても作り始めちゃうと思うので、その衝動に素直に従って何かを作ってみましょうと言いたいですね。
――― うちの会社では個人のお客さんの割合が減ってきてしまいました。
そうですか。SNSの影響ですかね。SNSは自分の作ったものをたくさんの人に見てもらえる一方、トップクラスの凄い人も出てきちゃうじゃないですか。それと自分のやっていることを比べて萎えてしまう人は結構いると思うんですよ。私も最初はありました。メーカーがすごい設備で製造しているところを見ると、俺なんでこんなヤスリでちまちま作って、何か意味あるのかなみたいな。ただやっぱりDNA持ってる人は、作るのが好きなんですよね。面白いんでしょうね。だから決してそこと比べたりしないで、あなたの手とスキルっていうのは本当にあなただけのものなんだから、そこにもっと自信を持って突き進めばいいって思います。
――― 今までやってきた中で味わった挫折を教えていただけますか?
さきほどの「なぜ手作りなのか」っていうところですね。一時期それで本当に悩んだんです。最初はお金もないし、場所も設備もないから手で作らざるを得なかった。そのうちだんだんに自分の作る時計が理想に近づいてくると、工作機械で作った方が精度もいいし早いし安くできるかもしれないと思うようになった。でも、「あえて手で作る」ことに価値を感じていて、それは単に自己満足とは違う。だから手で作ることの意味を自分でちゃんと考えて、腑に落ちるまではモヤモヤしていましたね。その意味が腑に落ちた瞬間、これでいいんだと吹っ切れて自信が持てるようになったんです。
死を身近に感じる体験が生んだ決断
――― もし時計師にならなかったらどんな仕事についていましたか?
もしかしたらそのまま自衛隊にいたかもしれないですね。居心地も良かったし、いい仲間もいて。すごく楽しかったので。
――― その中でどんな役割を?
銃の整備をやっていたんですよ。
――― 銃の整備も心がくすぐられるものですよね?
整備とはいってもパーツ交換だけなんですよ。パーツを旋盤で削ったりして、手を加えて組み込んだりすることは禁止なんです。職人過ぎてはダメなんですよ。その人がいないとこの銃は直せませんとなったら戦闘を継続できないので。教育受けた人だったら誰でもその方法でやれば直せることが重要なんです。そこがちょっと物足りなさは若干あったといえばあったかな。そこにモヤモヤしているときに時計の世界を覗いちゃったもんだから、やってみたいって強く思ったんですよね。
ただ、自衛隊は本当に行ってよかったですね。行ってなかったら独立時計師にはならなかったかもしれないですね。自衛隊で塹壕を掘ったりすることがあるんですが、その時にもし砲弾が飛んできて爆発したらどうなるかと考えたら、もう老いも若いも階級も何も関係なく運だけで生死が決まるんだなと思って。でも突き詰めれば日常でもそうだよなと。いつ死ぬかわからないなと。明日死ぬかもしれないんだから、やりたいと思ったことはやってみようと決断できるようになった。これは自分の中で大きな体験でしたね。
――― なかなかそういうことって普段の生活では体験しないですもんね?
死を身近に感じる体験は自分にとって大きかったですね。それと同時に、人間に大差はないとも思ったんですよね。優秀な人もミスするし、できないやつも訓練すればそれなりの水準になるし。飯食わないと誰も仕事できないし、睡眠とらないと使い物にならないし、弾当たったら誰でも死ぬし。そういう目で見た時にそんなに人間って大差ないなと。それで独立時計師の記事を見た時に、他の人ができるんだったら俺にもできるんじゃないかみたいな。そういうポジティブ発想になって。自衛隊の経験が自分にそういう見方を教えてくれたのかなって思いますね。
自衛隊での経験を語る菊野さん
独創性を支えているもの
――― 菊野さんは和時計を作っていらっしゃいますが、例えば日本文化に対してどのような価値観を持っていらっしゃいますか?
日本文化をヨーロッパと対比させて考えると随分違いますよね。日本では地震や台風で壊れたり朽ちたりして形あるものはなくなってしまう諸行無常的な感覚があるけれども、ヨーロッパは逆で、大聖堂や石造りの建物を見ると、永遠のようなものを感じますね。環境が違えば考え方も変わるし宗教感も変わる。その環境の違いがそれぞれの独自文化を作ってくんだなと。土地と文化は切り離せないですね。
日本の独自性を感じるのは、古びていく様に美を見出すところですかね。キラキラピカピカを永遠に持続させようとするヨーロッパに対して、日本は形がまろやかになっていったり、色が褪せてきたりといった儚さに美を見出すところがある。そういう日本の感性というものを少しでも時計に反映させて、ヨーロッパとはまた別の価値観のものを作れたらなって思いますね。
――― 時計って天体の動きと関係していると思うのですが、「時間とは何か」みたいなことまで考えたりすることってありますか?
時間っていうのはあくまで人が定めた区切りでしかないですよね。どう時間を分けるかで。和時計の場合は、1日の長さが上半分が昼で下半分が夜なんですけど(和時計改を動かしながら)、季節が移り変わっていくと、間隔が広がっていくような。昔は西洋でもこのような不定時法だったんですけど、時計ができてからは生活のリズムを時計に合わせた。日本は逆で時計のほうを生活のリズムに合わせた。面白いですね。
日本では1600年頃から、ガラパゴス的な感じで和時計が作られていたんですよ。ただ精度についてはあまり進化はしなかったんですよね。ヨーロッパもその当時は精度が良くなかったんですけど、海に出た時に船の現在位置を知りたいというニーズが時計の精度を高めました。現在位置を知るには経度と緯度を求める必要があるのですが、緯度は星の高さを見ればすぐにわかります。でも経度の場合は、船と港でそれぞれ太陽の南中時刻を比較しないとわからない。そこで正確な時計が開発が強く求められたんです。一方、日本は船で遠くに行くことが少なかったので、そこまで必要なかったんですね。唯一それを必要としたのは正確な地図を作りたかった伊能忠敬だと思います。北海道のところに経度方向にちょっとズレがあるんですよ。正確な時計があればもっと綺麗な形の地図が描けたはずですね。彼らは自分で時計を作っているんですよ。正確な振り子時計みたいなものを工夫して作ったりして。環境が整っていない時代によく作ったなと。
そういう時計の歴史の違いはあまり知られてないので、それも含めて伝わってくとより面白さを感じてもらえるのかなと思うんですけどね。深いんですよ。語り尽くせないほどに。
工房にはたくさんの本が置いてあった。菊野さんの独創性の高い時計は、時計に関する知識だけではなく、歴史や文化など幅広い知識から生まれている。
このまま自由に作らせて
――― 最後の質問ですが、これからの目標について教えていただけますか?
これからも何かに出会って、何かと反応が起こって、何かを作りたくなると思うんですよね。そのために身軽ですぐに興味あるところに顔を向けられるようにしておきたいですね。
――― 私も身軽になることに憧れてるんです。
社会貢献という意味では、雇用を生み出したり、価値を広めたりすることも大切ではあるのですが、ごめんなさい、僕個人としてはこのまま自由に作らせてほしいなって。学校で技術を共有するから許してって感じです。せめてもの罪滅ぼしと恩返しの気持ちで学生に教えています。教えると勉強になるし、面白いですしね。学生たちとはどんどん年の差が広がっていきますが、若いエネルギーをもらえますから。
――― 時計作りを追求し続けるということですね。そういえば先日、葛飾北斎の美術館に行って知ったのですが、北斎は今際の際、「あと5年、いや、あと10年生きながらえることができたならば、本物の絵描きになれたのに......」と言ったそうです。
僕も時計狂人卍になるのかも知れません(笑)