2022.08.22

【クリエーターたち】ロボットクリエーター 三宅巧馬 インタビュー

2022.08.22

インタビュー・構成:八重樫響|撮影:菅原康太

「つくりたい」という想いを胸に挑戦を続ける、色とりどりのつくり手たち。
困難や失敗を乗り越えて、想い描いたビジョンをカタチに変えていく。工夫や探求を積み重ね、新たな価値を生み出していく。そんな、つくり手という生き方。その軌跡と想いをひも解くインタビュー。
今回は、仕事と両立しながら「かわさきロボット競技会」現役選手として制作を続けるロボットクリエーター、三宅巧馬さんにお話を聞きました。

三宅・巧馬(みやけ・たくま)
1981年、香川県生まれ。立命館大学理工学部ロボティクス学科卒。立命館大学ロボット技術研究会(RRST)所属をきっかけに、2000年よりかわさきロボット競技大会に参加。
現在も現役選手である傍ら、試合解説も務めるなどマルチに活動中。2008年の優勝を始め、準優勝、デザイン賞、技術賞など多数受賞。

(右)『燐-オニビ-』
かわさきロボット競技会(2008)優勝機体。当時、普及し始めのCNCを活用した曲線的なデザインが特徴的。ヨーロッパ建築の門扉などに使用されるロートアイアンの技法を駆使したフレームがその最たる例である。

(左)『雀-スズメ-』
少ない作業時間で高い完成度を目指すべく、スマートなデザインとなった現在の機体。真円の機体側板には様々な家紋を飾る事が出来る。現在は機体名称の「雀」に合わせて、「中陰三つ膨雀」「中陰三つ寄せ雀」の家紋を採用。

0から始めたロボット制作は、"発想だけで戦える世界"

――― まず初めに、三宅さんがロボット制作を始めたきっかけをお聞かせください。

僕がロボット制作を始めたのは、母の影響が大きいです。テレビでやっていた『NHKロボットコンテスト』を母が好きでよく見ていて、僕自身も手先が器用な方でプラモデルを作るなどしていたこともあり、ロボット制作に興味を持ち始めました。高校受験の段階で、ロボット制作をするために高専に進学するか悩んでおりました。その時は決心がつかず普通科に進学したのですが、いよいよ大学に進学するという段階で一念発起して、「ロボットの世界へ行ってみよう!」とそっちの分野に進みました。

――― 制作を始めるにあたり、どんなことから手をつけていったのでしょうか?

当時、大学のロボット技術研究会はまだ黎明期で教育体制が出来ておらず、ロボット制作をどう進めれば良いか教わることのできる環境がまだまだない状況でした。TwitterのようなSNSも当然なく、自力でやるしかありませんでした。
そこで僕がまずやったことは機械加工でした。主に旋盤やボール盤などの、大学にあった設備を使っていました。初めはロボットをつくるというよりも、金属を自分の手で加工できる喜びのほうが大きかったです。シャフトを一本作るだけでも、0.0◯mmとかまで精度を追い込んでいくのが楽しくてずっと加工していました。

――― そこから徐々にのめり込むことになっていったロボット制作の魅力とはなんなのでしょう。

最初に少し話したように、僕自身はちょっと手先が器用なくらいで、そんなに運動ができるわけでも、頭がいいわけでもありませんでした。そのため、高校までは家でゲームをして過ごしているような、ちょっと暗い青春を送っていました(笑)。だけど、いざロボットの世界を目指して大学に入り、大会に出場したことで、自分の身体能力や頭の良さ(学力)など関係なく、"発想だけで戦える世界"があることにびっくりし、そこからどんどんとのめり込んでいきました。

――― 今日まで長らくロボット制作を続けられてきた中で、苦労・失敗したことや、挫折の経験はありますか?

「加工を失敗した」とか「ちょっと手を切ってしまった」、「配線をミスして回路からボンっと煙が上がった」みたいな苦労や失敗は多々ありました。ただ、よくよく考えてみたのですが、挫折したことはありませんでしたね。何か失敗しても「あっ、じゃあ、次はこうすればいいよね!」と、その連続でひたすら走り続けてきた感じでした。それこそ、0からロボット制作をやっていて新しい発見ばかりだったので、挫折ということをそもそも考えなかったですね。

――― 現在、当社製品『mini-CNC HAKU』を使用して制作をされていますが、制作を進める中で当社製品にたどり着いた経緯をお聞かせください。

大学在学中は学校の設備を使って制作をしていました。その後、社会人になってからなのですが、僕が入社した会社はロボコンに対する認識が全くなく、ロボット制作を続けることができる保証もありませんでした。それでも、どうにか続けていたら、社長が「ロボット活動している奴がいるぞ!」と目をかけてくれて、会社の設備を使わせてもらえるようになりました。ただ、4平米の巨大なマシニングセンターをはじめ、大型工作機械ばかりで、ひたすら使いにくかったです。おまけに、会社で現役の工作機械でしたからもし壊したりしたら大変な事になるので恐る恐るやっていました。
するとその翌年、会社が『mini-CNC COBRA』を購入してくれたのです。そこでオリジナルマインドの製品と知り合いました。いよいよ『mini-CNC HAKU』が出た時に「これだったら僕でも買えるな!」と飛び付いた形です。個人でロボット制作をやるにはジャストサイズでした。

防音のため、クローゼット内の自作スペースに設置された「mini-CNC HAKU」。

時間がない、だからこそ洗練されるデザイン

――― 2機のロボットを拝見させていただき、それぞれ、装飾の美しさや配線が全く見えないスマートさに強く目を惹かれました。

僕のロボットはデザイン賞を過去4回取っていて、上位入賞(優勝~3位)して受賞対象から外れた時も含めると、多分7回くらいノミネートされているのではないかと思います。とはいえ、最初からデザイン路線だったわけではなく、ロボット制作を初めて三年間はデザイン賞どころか、ずっと初戦負けばかりでした。その原因は機体の強さ以前にクオリティの低さにありました。要は、スケジュールが間に合ってない、試合前日に徹夜してどうにか出場しているみたいな。「それじゃ当然勝てないよね...」ということで、制作工程やスケジュールを見直し、まず"ちゃんと作る"ということを念頭に置いたのです。そして、制作が順調に進んで手が空いた分、装飾を凝ってみようと色々やっていた結果、デザイン賞に行き着いた感じでした。

――― では、制作を始めた当初からロボットの美しさにこだわっていた訳ではなく、デザイン賞を受賞して以降、徐々に意識されるようになっていったということでしょうか。

その通りです。当時はロボット制作を独学でやっていたこともあり強い人には試合では全く適いませんでした。でも受賞したことで「デザインだったら敵うじゃん!」という自信が持てたことと、デザイン賞自体が、努力賞とか受賞基準が曖昧なものに比べて、意図的に狙える賞だったということから、デザイン路線で攻めていく方針にしました。
そこから実際にデザインを突き詰めていくと、全体のバランスからネジ一本のはみ出しや配線の汚さなどの細部まで全部気になってしまって、どんどん洗練されていったという流れですね。

『燐-オニビ-』のフレーム。ロートアイアンの技法を駆使した、洋風かつ曲線的なデザイン。

――― 今後、より装飾に凝った機体を作りたいというような目標はありますか?

今その目標は全くありません。「燐(オニビ)」と「雀(スズメ)」のデザイン、明らかに違う印象を受けると思うのですが、ロボコンで優勝した時の機体である「燐」はデザイン路線を主軸に、強さも意識するというようなスタンスで制作していました。当時は会社で加工をふんだんに出来ましたし、制作時間もしっかり取れていたこともあり、ロートアイアンのように本格的な装飾手法を取り入れることができました。その後、優勝した翌年に結婚して、しばらくしてから子供も産まれたことで、制作の時間がそれほど取れなくなりました。「社会人になって、ロボットを作る時間どうしてるの?」みたいに聞かれる時もあるのですが、計算してみたら年に20日分くらいしか制作に当てられる時間がないのです。そのため、ロボットは極力スタイリッシュ、洗練されたものを作りましょうということで、今の機体「雀」は余計な装飾を外した無駄のないデザインに切り替えています。

CNCで削り出されたロボットパーツ。少ない時間でも完成度の高いロボット制作するため、加工のトライ&エラーがしやすいプラスチック素材を使用している。

"家族の協力"が制作を続ける原動力

――― 社会人になり、ご家族も出来たことで制作にかけられる時間が少なくなった中、それでも長らくロボット制作を続けてこられたモチベーションはどんなところにあるのでしょうか?

実は子供が産まれてからの三年間はロボット活動をやめていて、その後二年間は昔の機体をちょっと手直しするくらいに留めていました。というのも、赤ちゃんが切粉を舐めたり、ネジを食べちゃったりしたら大変じゃないですか。そんなことになったら家族の了解は絶対得られないので、意図的に自制していましたね。それでもやっぱり虫が疼くので、「かわさきロボットにせめて参加だけでもしたいな...」とロボットをちょこちょこ取り出してはいじっていたのですが、それを見ていた家族が、「やっていいよ。」と言ってくれて。なので、一番のモチベーションは、"家族の協力"ですね。

――― 一度制作から離れてしまうと、そのまま手付かずになってしまうことも少なくないかと思います。しかし、自制されていた期間でもロボット制作をしたいという想いを持ち続け、制作を再開されたことから、三宅さんのものづくりに対する情熱を感じました。

僕にとっての「ものづくりとは何か?」という話にもなるのですが、実は2017年ごろに仕事の過労でうつ病になってしまったのです。その時は、言葉も喋れない状態まで追い込まれてしまいまして...。でも、そこから復帰する時、ロボット制作だけ唯一手が動いたのです。本当にロボット制作が好きなのもあるのですが、それだけでなく、自分の生活の根っこにものづくりがあるのだなということを感じました。

――― 手を動かしてものづくりをすることが、生活の一部として根付いているのですね。

じゃあその時に、「なんで新しいことはせずに、ずっとかわさきロボットなの?」っていう疑問があると思います。その理由の一つとしては、僕が一つの物事をとことん掘り進めるのが好きだということがあります。まだまだかわさきロボットでやり残していることがあると考えていて、今も挑み続けております。

環境を理由に諦めない、社会人クリエイターを支える"KitMill"

――― 時間のない中でもどうにかものづくりを続けていきたいという想いをもつ人にとって、ここまでの三宅さんのお話はとても参考になる部分が多かったように感じます。

ありがとうございます。僕の作業環境をパッと見ていただければわかる通りですけれども、広い工房があるわけでもなく、一般集合住宅の中で制作をしています。なので、騒音が近隣の方への迷惑にならないように工作機械も極力端に置いております。他にも、9:00~21:00を加工時間と決めて、21時以降は加工しないようにしようとか、周辺環境に気を配って制作しています。だから、本当のことを言うと、最新設備が揃っていて何時でも使えるような環境のクリエーターさんがとても羨ましいです(笑)。

自室のクローゼット内に設けられた作業スペース。一般集合住宅の限られた空間に収めるための工夫が光る。

――― とはいえ、中々そうもいかないからこそ、自身の置かれた環境の中で工夫していくことが大事なのですね。

そうですね。環境を理由に諦めなくても、工夫次第ではどんな環境下でもものづくりはやれると思います。それこそオリジナルマインドの製品のことじゃないですか。当時は、「大学を卒業したら工作機械がないから、もうこれ以上ロボット制作を続けられないよ」なんて思っていた人は多いと思います。でも、KitMillがあることで、今では卒業してからもロボコンに出場し続けている人がいっぱいいます。きっと、KitMillシリーズがあるからこそ社会人でもロボコンに出場できるという構図が出来上がっていると思いますよ。

ものづくりに見出す、人とのつながりの大切さ

――― 三宅さんのものづくりのルーツは大学にあるとのことでしたが、今でも母校とのつながりはあるのでしょうか。

はい。そこは一番大事にしているところで、僕は20年ロボコンに出ているのですが、必ず大学の方から参加させてもらっています。というのも、自分のものづくりの根っこが、大学でロボットをやっていて楽しかったことにあり、それを後々にも伝えていきたいなという想いが非常に強くあるからです。なので、ロボコンでは大学と必ず行動を共にして、色々なものを残せるように活動しています。そのおかげか、卒業してからもかわさきロボットに出場し続けていて、上位に入っているようなOBの人もいますし、また、そういった人たちを目標に頑張ってくれる現役の人もいて、気兼ねなく色々聞いてきてくれるので、ありがたいなと思っていますね。

――― 今では、ものづくりを通した"人とのつながり"も大きな魅力の一つとして存在しているのですね。

そうですね。今になってものづくりの魅力として改めて感じているのは、やっぱり、人とのつながりですかね。普通のロボコンであれば技術は隠すものだと思うのですが、かわさきロボットに参加している人たちは、「僕の技術を見てくれ!」っていうオープンなスタンスでやってくる人たちばかりで、特に人のつながりが温かいところだと思っています。
私が20年もロボット制作を続けてこられたのは、人のつながりが温かい大会があり、それに参加することに協力してくれる家族があり、KitMillシリーズが環境を支えてくれたからこそだと思います。

自宅のベランダにて、ものづくりの魅力を語る三宅さん。

――― そんなものづくりの魅力を感じられてきた三宅さんから、これからものづくりを始める人・ものづくりが上手くいかず悩んでいる人に向けて、ぜひアドバイスをお願いします。

SNSでもなんでも良いのでまずは人のつながりを作ることをお勧めします。「このクリエーターさん、とても良いな・好きだな」っていう人がいたら、とりあえず自分のものづくりの上手い下手に関わらず話してみることから始めることかなと思います。誰しも初めは失敗を踏んでいくものです。それこそ、僕だっていきなり優勝機体やデザイン性の高い機体が作れたわけではありません。だからこそ、人と話し、つながりを持ちながら、失敗を恐れずに根気よくものづくりを続けていけば、いずれ華開く時がくると思います。

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