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オリジナル製品事業のあゆみ

最初の試練

1997年、オリジナルマインドは創業されました。当初の事業内容はPLCのソフトウェア開発でした。PLCとは、工場の自動化のためのロボットやアクチュエータを制御するコントローラーです。そのPLCのソフト開発をしながら、ゆくゆくは自社オリジナルの機械系組み立てキットを開発・販売する会社をめざしていました。

翌年の1998年、数種類の組み立てキットを開発し販売してみたのですが、思うように売れませんでした。イベントに出展し積極的にアピールしても、経費さえ賄うことができませんでした。やればやるほど赤字は膨らみ、せっかく苦労して貯めた資金をただ食いつぶすだけの日々が続きました。精神的にも金銭的にも行き詰まりを感じ、組み立てキットの販売の夢をあきらめてしまいました。幸い、ソフト開発の仕事は技術的な難しさはあったものの、安定した受注が確保できていたため、それ以降はソフト開発の仕事に専念していました。

▲ 最初のオリジナル製品「超小型ローテーターキット」1998年5月発売

それから数年後の2002年秋、インターネットで基板加工機を自作している人たちの製作記事を見つけました。記事に衝撃を受け、それをキット化して販売してみたいと思い、再度開発に挑戦してみることにしました。基板加工機とは、銅箔が貼り付けられた「生基板」と呼ばれる板材の表面を切削することで配線パターンを作っていく機械のことです。最近では個人でも基板製作を外注することが簡単になりましたが、当時は個人が外注など考えられもしない時代でした。ですから、この基板加工機をキット化して個人のお客様に向けて販売すれば喜ばれるのではないかと考えたのです。

さっそく開発に取り掛かりました。試作機を作り、加工テストをしてみたところ、基板だけではなくアルミも加工できることがわかりました。それ以降は、基板加工機ではなく、アルミも加工可能なCNCフライスとして開発を進め、名称を「mini-CNC」と決めました。7回の試作を経た後、2003年9月にmini-CNCは発売されました。

しかし、やはり思うように売れませんでした。田舎の無名のメーカーがアクセスの少ない自社サイトで販売してもなかなか売れないのは当然です。発売にあたっては、仕入れに数百万円が掛かっていました。これは当時の当社にとっては、とてつもなく大きい金額です。「もし売れなかったらどうしよう」という強烈な不安を抱えていました。

▲ mini-CNCの試作機(2003年2月頃)。開発当初はCNCフライスではなく基板加工機として開発を進めていた。

ロボット製作ブームの到来

翌年の2004年春、転機が訪れます。なぜかmini-CNCの売り上げ台数が急速に伸びていきました。なぜこんなに売れるのか。しばらくその理由がわかりませんでした。調べてみると、二足歩行ロボットの製作に利用されていたことがわかりました。当時、ロボットの製作ブームが起きており、中でも2002年に始まった二足歩行ロボット大会「ROBO-ONE」は大変な盛り上がりでした。やはり二足歩行ロボットというのは人間と同じ動きをしますから、目を惹きつけますし、テレビでも話題になっていたのです。このため、そのROBO-ONE大会に出場するロボットクリエイターがたくさん現れてきました。

二足歩行ロボットを作るには、そのパーツに「カッコよさ」を演出するための美しい曲線や、軽量化のための肉抜き、精度の高い穴などが必要になります。mini-CNCは、そうした複雑な形状の部品を精度よく、しかも自動でいくつも加工できるため、まさにロボット製作に打ってつけだったのです。mini-CNCは、ロボットクリエイターたちのニーズにマッチし、広く利用されるようになっていきました。

▲ 1種類しかなかったmini-CNCは、わずか2年で4種類に増えた。(2005年12月)

2007年には、折り曲げ機「Bender Black 30(のちのMAGEMAGE)」を発売しました。ロボットの関節部分にはコの字型の部品が必要で、それをつくるには折り曲げ機が必要でした。当時は既に個人でも手の届く手頃な折り曲げ機は存在していたのですが、複雑な曲げはできませんでした。そこで、ダイとパンチが分割できる方式を思い付き、深曲げや逆曲げ、切り起こしといった複雑な曲げのできる折り曲げ機を開発しました。それによって、CNCと折り曲げ機をセットで購入してくださるお客様が増え、私たちは二足歩行ロボットブームと共に成長していくことができました。

その後、mini-CNCは「KitMill」と名称を改め、制御方式を新しいものに変更したり、フレームに鋳物を用いたモデルを追加したりして、性能の向上とラインナップの拡充をしていきました。そうして、KitMillは全国の技術系大学のほぼ全てに導入されるほどに普及していきました。

3Dプリンタの出現の衝撃

2013年頃になると、ロボット製作ブームは下火になっていました。そこに3Dプリンタが出現し、猛烈な勢いで普及していきました。3Dプリンタは私たちにとっては脅威でした。なぜならKitMillと同じ立体形状をつくる装置だからです。しかも静かで気軽に造形することができます。KitMillは3Dプリンタの人気に圧倒されてしまい需要が低迷し、私たちの業績は深刻な状況に陥りました。

ところがそれから2年ほど経過すると、KitMillの売上は回復していき、むしろ、3Dプリンタが出現する前よりも売上が伸びていきました。3Dプリンタはケースやカバーといった外装部品の製作には向いていますが、歯車やフレームといった機構部品の製作には向いていません。そのせいか、3Dプリンタをお持ちのお客様の工作範囲が広がっていくにつれて、KitMillを求めるお客様が増えていったのです。

しかもその頃になると、「メイカームーブメント」と称される個人のものづくりがだんだんに盛り上がり始め、全国にFABスペースが次々と開設されました。KitMillを設置して下さる施設もたくさん現れ、まるで全国に私たちのショールームができたような状況になり、そのおかげでKitMillはこれまで以上に広く全国に普及していきました。私たちはその流れを受けて、「時代は切削」のTシャツを発売したところ、たいへん大きな反響をいただきました。今もそのキーワードをSNSで見かけることがあります。

▲ 3Dプリンタの人気に逆らって「時代は切削!」Tシャツを販売。(2015年頃)

メイカームーブメントの終焉

メイカームーブメントのお陰で好調な業績が続いた私たちでしたが、そのムーブメントも2020年ぐらいになるとだんだんに下火になり、閉店するFABスペースがチラホラと出てきました。その上、前年の消費税UPにより個人消費が低迷し、そこに新型コロナウイルスが蔓延。3年以上に及ぶ世界的な不況が私たちを襲いました。

私たちは当初、コロナ渦はチャンスであると捉えていました。当社製品はすべてデスクトップ型であり、部屋で使うことを想定してつくられているからです。外出を控え、家で過ごす時間が増えたことで生まれた「巣ごもり需要」によって、当社製品がより普及するのではないかと予想したのです。

ところが実際はそうはなりませんでした。確かに家で過ごす時間は増えたのですが、つくったものを披露するロボット大会等のイベントが相次いで中止になってしまったため、つくり手のモチベーションが消沈してしまったのです。その上、多くの学校がオンライン授業に切り換えてしまい、学生たちが手を動かして何かをつくる機会が減ってしまいました。当社の売り上げのうち、学校は3割以上を占めていましたから、当社製品の需要は一機に低迷し、私たちに再び経営の危機が訪れました。

卓上型射出成形機INARIの意外な需要

2020年末、私たちに救いの手が差し伸べられます。2017年に発売した手動式射出成形機「INARI」の売上が急に伸び始めたのです。なぜ急に売り上げが伸びたのか。私たち自身も最初は把握できていませんでした。しかしお客様からのお問い合わせに対応させていただいているうちに、その理由がわかってきました。それは「プラスチック問題」でした。環境問題への意識が高まる中、多くの企業では、従来の素材から環境に優しい素材への変更が求められていたのです。2020年はレジ袋の有料化が義務付けられたこともあり、その意識がより高まった年でした。

未知の素材の特性を確かめるには、多くの試作が欠かせません。しかし、従来の成形機では、大がかりな装置であるため、その試作に時間とコストがかかってしまいます。その点、私たちのINARIはコンパクトですから、気軽でスピーディーに、かつ研究室の静かな環境で試作することができます。このような理由で、INARIは広く利用されるようになっていきました。私たちはそのようなニーズがあることを想定していなかったのですが、その背景には、このような社会的課題が影響していたのです。

2021年、INARIの売り上げが好調であることを受けて、射出容量を前モデルの2倍に増量した「INARI M12」を新しく発売しました。さらに、2024年には、空圧式の射出成形機を発売します。小型ながら35ccもの射出容量を持つ成形機です。以前からご要望の多かったポリカーボネートの成形にも対応しています。

最近では、INARIとセットでKitMillをご注文くださるお客様が増えてきました。この二つがあれば、その日のうちに金型製作から射出成形までを完了させることが可能です。射出成形機「INARI」シリーズは、今後も環境問題への意識が高まる中、さらに存在感を強めながら伸びてゆくものと思われます。

▲ INARIを展示会に展示すると、興味を持って下さる方が多く、ブース前にはたくさんの来場者が集まります。(2022年 ものづくりワールド)

オリジナル製品事業のこれから

私たちは創業以来、個人のお客様に向けて製品を開発・販売してきました。最近は、法人のお客様の割合が増えてきましたが、それでも私たちは、変わらず個人に向けて製品開発を続けるつもりです。法人とは言っても、それを構成しているのは個々の技術者です。注文者の名義が法人というだけで、それを使う人は、ものづくりを愛する技術者なのだと思っています。

人はなぜものをつくるのか。それは経済合理性といった理性的な理由だけではないと思います。それ以上の「何か」に突き動かされて人はものをつくるのではないでしょうか。仕事と割り切ってものづくりをしている人でも、100%理性だけで仕事をしているわけではないと思います。そもそも「生きる」ということは、理性だけでは説明のつかない「何か」があるから生きているのであって、それがなければ私たちは単なる機械となってしまい、生きる意味を失ってしまいます。

振り返ってみますと、創業から現在に至るまで、私たちを取り巻く事業環境は決して恵まれていませんでした。アジア通貨危機にはじまり、平成不況、消費税増税、リーマンショック、東日本大震災、パンデミックやウクライナ戦争など、想像もしなかった出来事が相次ぎました。「失われた30年」と呼ばれる時期ともぴったり重なっています。

それでも何とか今まで続けてこられた理由は、技術者たちの心に根差した活動をしてきたからなのかもしれないと思っています。ものづくりの世界は時代と共に常に変化しています。しかしそこで活躍する技術者の心の奥底には、変わらぬ情熱があります。それは、「つくりたい」という欲求です。技術者にとって、つくることは生きることです。私たちはこれからも、技術者たちの「つくりたい」という気持ちを何よりも大切にした活動をしてきたいと今あらためて感じています。

2024年1月 中村 一

▲ オリジナルマインド18年間のあゆみ(2014年制作)