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経営理念ができるまで

経営理念の必要性を痛感した2005年

2005年ごろ、私は2人目の社員を採用するために、ある求人誌に記事を載せることになりました。その求人誌には、この会社をどのような目的で、どのような方向に進めていくのかといった考えを記載しなければなりませんでした。夢も希望も感じられない会社に応募など集まらないからです。

今になって考えれば、それはつまり「経営理念」にあたるものなのですが、その当時、当社には経営理念がありませんでした。この会社をどのような目的で、どのような方向に進めていくのか。会社を経営する以上、あたり前のように持っていなければならない考えなのですが、それを文章にするとなると意外と難しく、とても短時間でできるものではありませんでした。結局そのときは営業の方がヒアリングをしてくれて、うまくまとめてくださったのですが、やはり私は、経営者自身の言葉でちゃんと明文化しなければならない。そう感じていました。

そんな中、私は松下幸之助さんの「実践経営哲学」という本に出会いました。冒頭の章に「まず経営理念を確立すること」があります。そこには「いちばん根本になるのは、正しい経営理念である。それが根底にあってこそ、人も技術も資金もはじめて真に生かされてくる。」とあります。それを読んで、私はさらに経営理念の必要性を痛感しました。どんなに優秀な社員に恵まれても、共通の目的がなければ成果につながらないのではないか。私は、経営理念をつくる決意をしました。

なぜ経営しているのか

経営理念をつくるにあたっては、なぜ経営しているのかを考えることが重要だといいます。なぜならば、その問いに対する答えこそが経営の目的ということになるからです。しかし、なぜ経営しているのかという問いは、簡単なようでなかなか答えが見つかりません。

私は1997年、27歳のときにサラリーマンを辞めて独立しました。最初の8年間は私ひとりだけの会社でしたので、本当にやりたいことだけをやっていました。お金のために働いたことなど一度もありませんでした。しかし、社員を雇いはじめた2005年頃から、利益を確保することが大切になってきました。なぜならば、もし事業がうまくいかなくなった場合、私ひとりの会社なら困るのは自分だけですが、社員を雇っていると他人に迷惑をかけてしまいます。そのような恐怖がいつの間にか私を利益重視にさせていきました。

だから、なぜ経営しているのかという問いに対しては「利益追求に決まっているだろう」というような考えでした。経営理念に社会貢献をうたっている会社をみれば「それは建前だろう」とさえ思っていました。でもどこかで、利益追求は本当の目的でなないと感じていたのだと思います。だから、なぜ経営しているのかを自問自答し続けました。

そもそも「なぜ働くのか?」

なぜ経営しているのかを問う前に、そもそも人はなぜ働くのでしょう。私は、社員にこのような質問をしてみたことがあります。「あなたはなぜ働くのですか?」と。すると、「食べていくため」というような答えが返ってきました。しかし、それは答えにはなっていないのではないか。もし本当に人が食べるためだけに生まれてきたのだとすれば、あまりに寂しすぎる。食べるというのは、生命を維持するための手段であって、本当の目的ではないのではないか。働くことの本当の目的は他にあるのではないか、と思ったのです。

人の役に立ちたいという願望

なぜ働くのかということを一年間自問自答し続けて出た答えは、「人の役に立ちたいから」でした。人は生まれながらにして、人の役に立ちたいという願望を持っているのではないか。そのことに自分では気がついていなくとも、どんな人だって必ず潜在的にそういう意識を持っているのではないかと私は思います。

人は無意味な労働には耐えられないといいます。これは斉藤孝さんの本を読んで知ったのですが、ドストエフスキーの「死の家の記録」という本の中に、人間にとって最も悲惨な苦役は、意味のない労働をさせられることだと書いてあるそうです。穴を掘らせては埋めさせたり、砂山を右から左へ、また左から右へと延々移動させたり、いつ終わるともなしに続けさせる。こういった労働を課せられると人間は絶望するといいます。でも、畑を耕したり、壁を塗ったり、家を建てたりする仕事だったら、その仕事に熱中して、もっとうまく、もっと立派に仕上げようとする気持ちになるといいます。

この違いはつまり、その仕事が人の役に立つかどうか、ということではないかと思うのです。人は誰でも人の役に立ちたいという願望があり、その実感なしに働くことはできないということではないでしょうか。人が褒められたり、期待され仕事を任せられることによってやりがいを感じるのも、自分が役に立っているという実感を持てるからではないでしょうか。

なぜ人の役に立ちたいのか?

では、なぜ人は「人の役に立ちたい」という願望を持っているのでしょうか。

なぜ働くのかと聞かれて「食べていくため」と答えた人も、食べることに不自由しなければそれで幸せかというと、そうではないと思います。むしろ不幸かも知れません。なぜなら、働かないでいると誰からも必要とされなくなってしまうからです。

むかし「知ってるつもり?」という番組でマザーテレサを取り上げたことがありました。マザーテレサは「人から必要とされないことはもっとも不幸なこと」と言っていました。私はその言葉を聞いて、たしかにそうかも知れないと思ったのです。誰からも必要とされないということは、もしその人がいなくなっても誰も困らないということになり、この世に生まれてきた意味がなくなってしまうのではないかと思うからです。

では人に必要とされるにはどうしたらいいか。それは人の役に立つことではないか。人の役に立つことで、人に必要とされ、自分の生まれてきた意味を見出すことができる。私は、人が生まれながらにして人の役に立ちたいという願望を持っている背景には、この世に生まれてきたことの意味を見出したいからという気持ちがあるからではないかと思うのです。そして私は、「幸せとは、人が人の役に立ち、自身の生まれてきた意味を実感できること」と考えるようになったのです。

自分の命を人の役に立つために使うには?

では、どんなことをして人の役に立ったらよいか。私はそれは、自分の強みを活かすことがいちばんだと思っています。なぜなら、自分の強みを活かすことが、人の役に立つ上で最も効率の高い方法だからです。また、前述したように、人の役に立つことは幸せでもあります。強みを存分に発揮することは、自身にとっても社会にとっても幸せなことなのです。

私の場合は、小さなころからものづくりが大好きでした。ものづくり関してなら人より少しは上手にできると思います。だから私は、自分の強みである、ものづくりを通じて人の役に立ちたいと思っています。「使命」という言葉がありますが、それは「自分の命をなんのために使うか」という意味だと解釈しています。まさに私の使命は、ものづくりを通じて人の役に立つことです。

なぜ経営しているのか?

あらためて「なぜ経営しているのか?」の問いに戻ってみたいと思います。

私は自分の強みである、ものづくりを通じて人の役に立ちたいと思っています。だから当社の経営理念は「ものづくりの楽しさと夢を提供します。」としました。当社製品とサービスを通じて、お客様にものづくりの楽しさと夢を提供し、そのことで私たちの生きる社会全体がさらに豊かになっていってくれることを願っています。それが「なぜ経営しているのか」の答えであり、私の使命です。

そしてこの思いを共感できる人がいれば、その人を採用してさらに貢献度を高めたい。そう思っています。また、採用の際には、その人の強みが生かせるかということが大切になってきます。強みが存分に発揮できることは、その人にとっても、会社や社会にとっても幸せなことだからです。

さいごに

私は、社員とともに「ものづくりの楽しさと夢を提供します」という理念の具現化をめざし、その活動を通じて社員を幸せにします。そのためには、社員の強みを最大限に活かし、社会のために正しく行使すること。そして、社員が「人に必要とされることの幸せ」を実感することのできる環境をつくること。これが私の経営者としての責務です。